ディーン・フジオカさんがblock.fm『Smooth Navigation with EMPORIO ARMANI』に出演。タケル・ジョン・オトグロ(TJO)さんとご自身がチョイスした曲について話す中で、インドネシア音楽の奥深さについて言及していました。
(ディーン・フジオカ)当時、台湾のマネジメントの会社と一緒に仕事をして、テレビドラマだったり映画とかをやらせてもらっていたんですけど。まあ、一度契約を更新せずにフリーランスになって。
(TJO)あ、そうなんですね。
(ディーン・フジオカ)で、自分は音楽、自分が作詞作曲してやってみようと思って、まあいろいろ放浪の旅にまた出たわけですよ。
(TJO)あ、そこからまた旅に出たんですね。
(ディーン・フジオカ)で、ちょっといろいろ紆余曲折あったんですけど、結局インドネシア、ジャカルタに落ち着いて。自分の、実は3月の末にアルバムを出すんですけど。それはもう全てインドネシアで制作したやつなんですよ。
(TJO)あ、ジャカルタで。ほー!
(ディーン・フジオカ)はい。で、だいぶ時間はかかったんですけど。その過程は全てジャカルタでやって。途中で他の国で俳優の仕事をしながら……みたいな感じで。
(TJO)じゃあ、結構あれですか?ジャカルタで制作された時にも、やっぱりこういった、ライヒ(Steve reich)だとかは本当、極端ですけれども。やっぱりこういった音楽たちにもすごく刺激をされた?
(ディーン・フジオカ)僕はですね、実はインドネシアを最初、ナメてたんですよ。
(TJO)ほう。ナメてた?(笑)。
最初はインドネシアをナメていた
(ディーン・フジオカ)うん。まあ本当、言葉その通りで。香港とか台湾に住むと、まあもちろんUSとかウェスタンの国でもそうだと思うんですけど。やっぱりインドネシアってメイドさんの国みたいな。本当、失礼ですけどね。僕、嫁がインドネシア人なんですけど。最初、自分が当時持っていたインドネシアに対するイメージって、なんかちょっと、これからの国なのかな?って勝手に思っていたんですけど。(TJO)うん、うん。
(ディーン・フジオカ)住んでみて、もうぶっ飛ばされたわけですよ(笑)。
(TJO)ぶっ飛ばされたんですか?
(ディーン・フジオカ)もうなんか、「自分はなんて狭い世界に生きていたんだ!?」っていう。それで、まあいろんな人に出会って、気付かされる日々があって。まあ、音楽的にもDJ SUMOっていう僕のアルバムを一緒に作ったパートナーがいるんですけど。彼みたいなDNA的にはチャイニーズ・インドネシアンですよね。華僑のプラナカンっていう人たちですよね。でもまあ、国籍だったり、教育は全てボストン、USでやっていて。国籍も両方持っていて。トップ40みたいな曲も作れるし、インドネシアのそういう民謡というか。まあ、ダンドゥットみたいなのとか、ファンコットみたいなのもやれば……
(TJO)はい。
(ディーン・フジオカ)やっぱり華僑の影響の大きい国じゃないですか。東南アジアの方。インドネシアとか。だから、マンダリンポップスだったり中華圏のことも仕事として普段やったり。で、プンジャビとかああいうヒンズー系っていうんですかね? ああいうこともやるし。なんか、びっくりしたんですよね。なんか、「ダイバーシティっていうのがこういうことなんだ」って思って。
(TJO)うん。
(ディーン・フジオカ)で、音楽的に自分がバリとか、バリだけじゃないですけど。ジョグジャとか、ジャワ島の方でも、ガムランってインドネシアの民族曲じゃないですか。それをいち早く取り入れて現代音楽の中でその魅力を伝えた人ってやっぱりスティーブ・ライヒのこの曲(『music for 18 musicians』)だと思ったんで。なんか、決して毎日この曲をジャカルタで聞いているか?っていうと、そういうことじゃないんですけど。自分にとってその、何が先に行ってる、何が遅れているとか、どっちが上とか下とかの概念って、自分の見方でどうにでも変わるっていうんですかね?
(TJO)たしかに、たしかに。
(ディーン・フジオカ)自分のその器でどうにでも価値観なんて変わってしまうっていう。それをすごい気付かされたっていう象徴でこれを選んだ感じですね。この曲を。はい。
(TJO)ちなみに、その今回のアルバムを制作するにあたって、そのDJのパートナーの方……
(ディーン・フジオカ)「SUMO」って僕は呼んでますね。スマントリーっていう名前なんですけど。まあ、体型を含めて(笑)。スモウレスラーっぽいから、「SUMOでいいんじゃない?」みたいな感じで(笑)。
(TJO)SUMOさんとは何をきっかけで出会ったんですか?
(ディーン・フジオカ)そうですね。結構その時、台湾香港周りのミュージシャンといろいろセッションをしていたんですけど、たまたま中華圏だと当時って、台湾のテレビドラマとかコンテンツって強かったんですよ。台湾でエクスポージャーがあると、アジア全体にディストリビュートされていたから。それでプロモーションとかでマレーシアとかシンガポールとかインドネシアも行っていたんですね。撮影とか。で、なんか横のつながりでいろんなミュージシャンに出会ったんですけど、SUMOと直接会ったきっかけはいまの自分の妻が知り合いだったということもあって。
(TJO)なるほど。うん。
(ディーン・フジオカ)まあ、自分がセッションバンドみたいなのをジャカルタで組んでいた流れの……そっからつながったわけじゃないけど、そのモードの延長線上でなんか知り合って。
(TJO)そこからもう、がっつり彼とコラボレーションというか、本当にコンビみたいな感じでやってますよね?
(ディーン・フジオカ)もう、ユニットみたいな感じでやっていますね(笑)。
<書き起こしおわり>